富山県伝統工芸士会

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<高岡銅器>

1609年、利長公が高岡城を築き町を開いたおり、千保川のほとりの金屋町に7人の鋳物師を定住させたのが、高岡銅器の発祥とされています。 鉄の日用品を経て銅器を鋳造するようになり、明治時代には精巧な加飾を施した製品が パリ万博で大好評を博しました。現在も、大型鋳造品から小物まで、様々な金属器を製造し、鋳込から仕上、加飾に至るまで、多くの工芸士が活躍しています。

<高岡漆器>

高岡開町の際、高岡に移り住んだ塗師が武具や箪笥などに漆を塗ったことが始まりとされます。 螺鈿や彫刻塗、錆絵など、様々な技法を用いた装飾的な箱物や調度品を得意とし、 その細工の美しさはかつて夏目漱石が虞美人草の中で描いたほど。 現在でも、小規模な産地ながら高い評価をいただいています。塗と加飾を分業で行っていますが、一貫生産のできる工芸士も数多く存在します。

<井波彫刻>

18世紀中頃、井波別院瑞泉寺の本堂が焼失し、再建の折に京都から派遣された御用彫刻師が、 井波の大工に技術を伝えたのが始まりとされています。 寺院彫刻から現在は彫刻を専業とするようになり、欄間、衝立などの調度品、獅子頭や置物、 パネルやアクセサリーなど、様々な木彫品の製作を行っています。 鑿だけで仕上げる精巧な作りが、国内外で高い評価を受けています。

<越中和紙>

富山県の和紙作りは、正倉院の古文書に「越中国紙」と記されるほど古い歴史を持つものです。 その後八尾の和紙は、富山藩で奨励された売薬業の薬の包み紙に、また売薬さんのお土産品として有名な 紙風船の材料ともなり、合掌造り集落の残る五箇山の和紙は、加賀藩の御用紙として北陸一円で使われました。現在でも様々な種類の和紙、和紙加工品を生産しています。

<庄川挽物木地>

上流の五箇山、白川郷からの木材集積地として、古くから栄えた庄川の町。 ろくろ挽物は19世紀中頃から生産されています。 丸太を横に製材する「横木取り」を特徴とし、美しい木目の流れのある丸盆や椀、茶托などを挽き上げ、拭き漆によって仕上げた製品を手掛けています。